クリニックでの2年間

国家試験を終え、自己採点でギリギリ大丈夫だろうと、就職したクリニックでの仕事を少し書いていきたいと思います。
目次
なにもわからなかった新人時代
私が就職した頃は合格発表が5月ぐらいだったと思います。普通に就職をしてから合格発表があり、不合格だと退職するかリハ助手として残るというそんな時代でした。当時、大学の同期では不合格となりリハ助手になった友達が何人かいました。
今はどうなっているのかわかりませんが今考えると不思議なことが起きていたと思います。
働きはじめてからというもの何も決まっていない、全て自分で決めなければいけない状態になっていました。
わけがわからなかったので、とりあえずリハ室を綺麗にしようと掃除をしたり過去の書類を整理したりすることから始めました。
資格もなければ技術もないので出来ることからやっていく感じでした。
理学療法士になった
掃除も落ち着き始めると、合格発表があり無事に理学療法士になりました。
わからないながらも、個別リハを始めたり障がい認定のための検査をしたり、運動指導をしたりとそれっぽいことを始めていきました。
わからないことは勉強する。医学書を買いあさり、研修会に参加するようになったのもこの時期からでした。
そんなことをしながら、ふと疑問に思ったことがありました。
自分はどれぐらい利益を出しているんだろうか?
そこから、保険点数を調べたり、日報をつけ1日の売上を気にするようになりました。
当時は自分のもらう給与と売上しかわかっていなかったので、売上に対して給与低いなと考えるようになりました。
この頃から少し変わっていたのかもしれません。
どうやったら患者さんが集まるクリニックになるのかなどを考えながら働くようになりました。
そうはいっても、理学療法士として何もない自分でしたので技術としてなにかほしい、もっと勉強したいと大きな病院へ研修に行かせてもらったりと勉強する時間は多くもらっていました。
クリニックでの勤務時間
勤務時間は9時から6時
休憩は2時間 1時から3時が休憩でした。
休みは土曜日午後と日曜日
あとは祝日、年末年始って感じでした。
休み自体は少ない方だったと思います。
どんな患者さんが来るの?
町の整形外科クリニックだったので、近所のおばちゃんがほとんどでした。腰椎牽引や頚椎牽引、マイクロ波など物理療法がメインのクリニックでした。
疾患としては変形性腰椎症、変形性膝関節症、肩関節周囲炎など一般的な整形疾患の患者さんや人工関節などの手術を受けられたからが戻ってきて方などがほとんどでした。
中には、多発性硬化症などの難病の方もいらっしゃいました。
クリニックで働いてどうだった?
今思えば、クリニックで働くのは楽しかったと思います。少ない時間の中で確実に結果を出さなければ次の通院に繋がらない。結果がすべての世界かなって思っています。
症例数としてはかなり多いので、知識、経験をしっかりと整理することが出来れば確実に技術が向上できる環境なんだと思います。
同期の話を聞いたりすると、焦ってしまい入院施設のある病院に移りたいと考えてしまったり、コンプレックスになってしまうと思います。
どんな職場環境でもそうだと思いますが、そこでしかできないこと、学べないことはたくさんあると思います。
私の経験から言えることはコンプレックスに感じる必要は何もないのではないかと思います。
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